SAPIO最新6/15号ゴーマニズム宣言の、小林よしのりさんによる被災地取材は、「すべてが流されてしまった」「どこにも逃げ場がない」その中でただただ呆然とするしかないありようをダイナミックに描き出していました。
一枚二枚の「象徴的な絵柄」だけでは描き出せない、その現実へと向き合おうとする小林さんの受け止め方がそのまま伝わってきます。
これまでマスコミで伝えられてきた被災地の「感動的な話」や「悲惨な話」も、ひとつだけ切り取って存在している現実ではなく、時に相矛盾しつつも混ざり合い、すべては同時に起こっているのです。
僕は4月初旬、3月11日の震災からもう一カ月近く経っている時点で、被災者のある若い女性がまだ1度ぐらいしか風呂に入れず、避難所から職場まで毎日通って働き、朝と夜は避難所で老人の排泄の介護を手伝っているうちにうっかり触ってしまって感染に苦しんでいる・・・・・・という話を聞いて、衝撃を受けました。
その衝撃の質をいま振り返れば、東京という遠く離れた場所にいる自分が無意識のうちに「被災者」「労働者」「ボランティア」は区切られた別個の存在だとなんとなく思っていたのに、そんなもんではないと思い知らされたということだったのかもしれません。
家を流され(人によっては家族や身近な人を失った)「被災者」であり、同時に復興につながる「労働者」であり、自分より弱い人を助ける「ボランティア」でもある。そしてもちろん、放射能の不安を抱えながら生きている。
それが一人の人間の中で同時に起こっている。
実はこの話は、作家の泉美木蘭さんが読者との交流の中で知った事実です。
僕は木蘭さんに「その人の話を道場ブログに書いていいですか?」と聞きました。そうしたら「その人と直接会ってたしかめたい」と、彼女はアッと言う間もなく東北へと単身旅立ってしまったのです。
僕はあっけにとられました。
その後木蘭さんは、小林よしのりさんの運転手として現地入りしたジャーナリストの田上順唯くんの車で被災地へ入り、その期間も含めて連続25日間も滞在し、ツイッターやブログなどで現地からの報告を続けることになります。
『せつないかもしれない』、いまUPされている第25回と、次の第26回は、その泉美木蘭さんが、ちょうど東京に一時戻ってきていた短い期間の間に出てもらいました。
http://www.nicovideo.jp/watch/1306472901
木蘭さんは収録の翌日、朝からまた東北に旅立っていまふたたび現地にいます。
先ほど「被災者」「労働者」「ボランティア」が一人の人間の現実の中で同時に起こっている・・・・・と書きましたが、復興の「本体」は生きるために働いて稼ぐことができる状況の復活であり、ボランティアや寄付は復興の初期対応としてはとても重要ですが、経済活動そのものではない。
ボランティアだけでは食っていけないのです。
辛い現実の中で生き残って働こうとしている人が立ち上がれるような社会を作ることが重要だという木蘭さんの提言はその通りだと思いました。
翻って日本全国を見れば、放射能の恐怖にいま多くの人が不安になっています。
被災地で生きる人たちはなんでそこから逃げないのか、信じられない・・・・などと、上から目線でツイッターでつぶやく遠く離れた人もいます。
また今回の番組を見ても「泥の中のプレステの話をするより、中性子線の人間に与える影響を考える方が先だ」と感想を言う人もいました。
でも考えてみてください。
「自ら家族を失いながら身体の動けない人の介護をし、毎日職場に通い、核の不安にさらされつつも経済活動をなんとか回していこうとする」東北の人たちというのは、いまの日本人全体の姿の縮図ではないでしょうか。
「多くの人が死んでいる土地を、いま自分が生きるために歩いている」ということを、被災地入りしたばかりの時に感じた泉美木蘭さんは「東北に行くと<がんばろう東北>という垂れ幕をいたるところで見かけるけれど、本当は<がんばろう日本>なのではないかと思うようになった」と言います。
次の第26回と、二回にわたって番組の中で話されたことは、私のように現地から遠く離れた人間にとって、地震後の社会の一員としていま一番必要なことを考える機会になりました。
木蘭さん自身が、番組の理解を助けるためブログをUPしました。
http://t.co/ggqPMc8
番組の中で紹介された写真、話題についてより鮮明になるかと思います。
ぜひ併せて見てくだされば幸いです。